パネルディスカッション「3.11で私は働き方、生き方を変えた!」
暮らし・生活

震災で子供と被災したママたちは、生き方と働き方をどう変えたのか

3.11の震災のあの日、あの時、被災をした場所は違っても、それぞれに様々な選択に迫られ、乗り越えてこられた3人の女性たち。

働き方や生き方そのものを変えるきっかけになった「3.11」について、語っていただきました。
2016年3月24日(木)に二子玉川ライズで行われた「ママ起業家フェスタ」でのパネルディスカッションの模様です。

撮影:桑本涼子

●パネリスト

阿部麗華さん(Creative Living LAB 代表) 阿部麗華さん(Creative Living LAB 代表)
鈴木亜紀子さん(転勤族ママを笑顔に「てんママ」代表 特定非営利活動法人日本防災士会 防災士) 鈴木亜紀子さん(転勤族ママを笑顔に「てんママ」代表 特定非営利活動法人日本防災士会 防災士)
渡辺琴美さん(株式会社アイナロハ 産後サポートままのわ代表) 渡辺琴美さん(株式会社アイナロハ 産後サポートままのわ代表)

●ファシリテーター

森啓子さん(公益財団法人日本財団 「ママの笑顔を増やすプロジェクト(ママプロ)」担当) 森啓子さん(公益財団法人日本財団 「ママの笑顔を増やすプロジェクト(ママプロ)」担当)

3.11の震災までの生活は……

森啓子さん(公益財団法人日本財団 「ママの笑顔を増やすプロジェクト(ママプロ)」担当) 森さん
3.11は、ここにいる多くの人にとって、価値観を変える出来事だったんじゃないかと思います。
「3.11、私は働き方、生き方を変えた」ということで、進めていきたいと思います。3.11の震災時、どこにいて、何を思ったのかについて教えてください。

阿部麗華さん(Creative Living LAB 代表) 阿部さん
私は震災時、福島市に住んでいました。
幼稚園に子供を迎えに行ったあと、子どもと一緒に美容室に行ったのですが、そこで地震に遭いました。

停電で当たりが真っ暗な中ようやく帰宅して、ニュースも何も見ていない時でしたが「何かがおかしい」と感じていました。
うちのマンションは県庁前で、たまたま停電から免れていて、たまたまつけたテレビのニュースを見たまさにその時、1回目の原発の爆発が起こっていたんです。

子どもも小さいですし、すぐさま避難をすることに決め空港に向かいました。
避難先は決めていませんでしたが、とにかく、ここから少しでも離れたところに行こう、と。
たまたま取れたチケットが名古屋行きだったので、まずは名古屋に避難しました。

運よく私たち家族は避難できたものの、仲の良かった友人やその家族は、まだ福島に残っている人もいて。
「私たちだけが逃げてきていいのか?」という後悔と先の見えぬ不安から、泣いてばかりいた時期もありました。
でも、そんなときの支えは、やはり子どもの存在でした。

渡辺琴美さん(株式会社アイナロハ 産後サポートままのわ代表) 渡辺さん
私は子どもが1歳になる直前で、育休からの復帰直前ということもあり、復帰前の思い出作りにと東京ディズニーランドに家族で出かけていて、被災しました。
パレードを待っているときに地震があり、シンデレラ城があり得ない角度ぐらいまで揺れていて。

たまたま復帰前で、たまたま家族みんなで一緒にいたからよかったけれど、もしあの時点で復帰していたらどうなっていただろう、職場は家からは遠いし、子どもはまだ1歳くらいで……と、ものすごくいろいろなことを考えました。

その晩は、ディズニーランドのホテルで一晩を過ごしました。
スタッフの方々は大変だったと思うのですが、対応がとても素晴らしかったです。
普段から訓練を相当されているんだろうなと思うんですけれど、誰もうろたえることなく、落ち着いてお客の避難誘導を行っていました。

森啓子さん(公益財団法人日本財団 「ママの笑顔を増やすプロジェクト(ママプロ)」担当) 森さん
備えあれば、というのは、本当なんですね。
鈴木さんはその時、仙台市にいらっしゃったんですよね?

鈴木亜紀子さん(転勤族ママを笑顔に「てんママ」代表 特定非営利活動法人日本防災士会 防災士) 鈴木さん
私たちは転勤族家族で、震災時は仙台市青葉区に住んでいました。
上の子どもが2歳、下の子どもが生後半年のことでした。

あの時、私たち家族は本当にたくさんの人々に助けられていました。
はじめは社員寮の人の車の中にいったん避難させてもらい、その後は近所の避難所。
避難所もなかなか大変だということで、いったん戻ってから、知り合いのお宅に避難させていただきました。
ひたすら人を頼っての生活をしていました。

森啓子さん(公益財団法人日本財団 「ママの笑顔を増やすプロジェクト(ママプロ)」担当) 森さん
あの日、私は霞が関にいましたが、霞が関も帰宅難民がたくさんいましたね。電車が止まってしまったものですからね。次に余震が来た時に一体どうするんだろうかと、思いました。家に帰る、そこにとどまる、いろんな選択肢に直面したと思うんですよね。

さて、3.11が皆さんの大きな転機になったことと思うのですが、3.11の前は皆さん、どのような生活をされていましたか?

阿部麗華さん(Creative Living LAB 代表) 阿部さん
私は、絵にかいたような教育ママで、子どもには7つの習い事をさせていました。
震災のときも、お受験を済ませて、行かせたい小学校の入学準備の真っ最中でした。

私自身はと言いますと、夫は私が働くということに対してあまり理解がなく、家族重視の暮らしをしながら、テーブルコーディネーターの資格がありましたので、家で教室を開いていました。
でも、以前は勤めていましたので、いずれは外で働きたいと考えていたんです。

ただ、すごく甘く考えていたところがありまして、派遣会社に登録に行ったとき、あるショックなことがありました。

私はそれまで、登録すればすぐにでも仕事ができると思っていたのですが、面接に行ってもなかなか採用されなくて。「どうして私は駄目だったんですか」と聞いたら、「20代の若い子と子連れの私がいたら、20代の子を採る」とハッキリ言われたことがあるんですね。
この時初めて、再就職って難しいと思い知りました。

渡辺琴美さん(株式会社アイナロハ 産後サポートままのわ代表) 渡辺さん
それが、(ママたちを取り巻く)厳しい現実ですよね。

私はそのころ都内で働いていまして、保育園を経由していくと、通勤に片道1時間半くらいかけていました。
主人も、朝の7時に家を出て、夜中の12時過ぎに家に帰ってくるという生活。

だから家族で一緒にいる時間というのは本当に少なくて、家には寝に帰るだけの、仕事重視の生活をしていたんです。

森啓子さん(公益財団法人日本財団 「ママの笑顔を増やすプロジェクト(ママプロ)」担当) 森さん
震災直後であっても、会社に出勤して働かなければなりませんでしたよね。
今、パソコンを持ち運べるようになって、物理的にはどこでも仕事ができるようになっているはずなのに、働き方の体制が変わっていないというか。

鈴木さんはどうされていましたか?

鈴木亜紀子さん(転勤族ママを笑顔に「てんママ」代表 特定非営利活動法人日本防災士会 防災士) 鈴木さん
その時は専業主婦でした。
ただ、震災の起こるちょうど1週間前に、復帰したいと思ってアナウンス事務所に電話をかけていましたね。

そのあと、主人は被災地に仕事で入ってしまったので、仕事復帰は難しい状況になってしまいました。

パネルディスカッション「3.11で私は働き方、生き方を変えた!」

3.11は何を教えてくれた?

森啓子さん(公益財団法人日本財団 「ママの笑顔を増やすプロジェクト(ママプロ)」担当) 森さん
ではみなさんは、3.11は何を教えてくれましたか、ということで、どんなことを考えたのでしょうか?

阿部麗華さん(Creative Living LAB 代表) 阿部さん
うちは母子避難をしたことで、結果、震災離婚となってしまったんです。
それで、離婚後、子どもを育てていくのに再就職をどうする?となったときに、仕事ってとても大事だと痛感しました。

なかなか決まらなかった仕事だったんですけど、就職できて、「これで子どもを守っていける」と思いました。

ですから震災とは……たくさんの方が亡くなったり、家をなくされたりと、人それぞれに本当にいろいろあったと思うんですが……私にとって、人生を変えるきっかけになったな、と。
いろいろ大変なこともありますが、それは次のステージのためのステップであると考えています。

わらしべ長者のお話のように、たとえ転んでも、藁でもいいからつかんで、立ち上がればいい。
そして、困っているときには周りの人に「助けて!」と言うことが大事だと思いました。
声を上げないと、周りは気づけないものですから。
でも、声にすれば、誰かしらきっと、助けてくれますから。

渡辺琴美さん(株式会社アイナロハ 産後サポートままのわ代表) 渡辺さん
私たちは被災地にいたというわけではなかったんですが、この震災を経たことで、家族を守る環境は自分たちで作らないといけないと考えました。
あの時の生活だと、家族に何かあったときに助けに行くこともできないので。

そこで、考えた末、家族でいる時間を重視しようということになり、「生き方を変えよう」という結論に達し、働き方を夫婦で変えました。
もちろん、そこまでには夫婦で「何が一番大事なのか?」について、たくさん話し合いました。

働き方を変えて、経済的に本当に苦しい時期もあって、我が家の食卓に乗るおかずが、もやしと鶏の胸肉ばかりなんていう暗黒期(笑)もありましたが、夫婦で話し合って決めたことなので、結果的に全く後悔はありません。

この選択をしてよかったと心から思っているし、家族でいられることって、本当に幸せだなと思います。

鈴木亜紀子さん(転勤族ママを笑顔に「てんママ」代表 特定非営利活動法人日本防災士会 防災士) 鈴木さん
私たちは、あの震災のとき、人を頼って頼って乗り切りました。
でも、あの生活は転勤から2年が過ぎていて、周りに頼れる存在があったからできたことだと思うんです。

もし転勤直後だったら、顔見知りがほとんどいない中、あのような生活や支援を受けることはできなかったと思っています。
それがきっかけで、転勤族のママの支援をしようと考えるようになり、今に至ります。

森啓子さん(公益財団法人日本財団 「ママの笑顔を増やすプロジェクト(ママプロ)」担当) 森さん
鈴木さんは震災後に防災士の資格をおとりになったんですよね。
せっかくの機会なので、「防災ミニ講座」をお願いします。

鈴木亜紀子さん(転勤族ママを笑顔に「てんママ」代表 特定非営利活動法人日本防災士会 防災士) 鈴木さん
短い時間ですので、大事なところだけ、要点だけをお伝えしますね。
「お片付け上手は大切な命を守る」ということですね。

みなさん、洗い物を毎日されると思うのですが、包丁ってしまっていますか?
これ、出しっぱなしにしていると、地震が起きたときに飛んできますので。落ちるとかでなく、飛んできます。
とにかく、包丁だけでいいので、必ずしまってくださいね。

森啓子さん(公益財団法人日本財団 「ママの笑顔を増やすプロジェクト(ママプロ)」担当) 森さん
ちょうど子どもの目線で、飛んでくるということですよね?

鈴木亜紀子さん(転勤族ママを笑顔に「てんママ」代表 特定非営利活動法人日本防災士会 防災士) 鈴木さん
そうですね。ですから、ものを出しっぱなしにしない。
これは命を守ることだとおもっています。

あとは、家族に何を準備しておくかも大切です。
「何があれば生きていけるか」という視点に立って、中身が揃えることが重要かなと。
食べ物のほかに、女性でしたら生理用品など、衛生用品がとても大事。

あとは、「何がないと困るか?」。
お子さんに、それさえあれば笑顔になるような好きなもの、ってありますか?
好きな毛布とか、ぬいぐるみとか。

そういったものがあると、ストレスを強く感じたときに、もしかしたら食べ物よりもその存在のほうが、その子に安心感を与え免疫力を上げるものになると思うので、そういったものを用意してあげておくといいんじゃないかなと思います。

あとは家族の写真。
(お子さんの防災リュックを見せながら)これは後ろに家族の避難場所が書いてあるんですが、こういった、(食べ物など)摂取するものではなくて、心が温かくなるようなものを用意しておくべきかなと思っています。

あとは、ハンズフリーになるようなヘッドライトですね。
震災時、薄暗い中で性犯罪が起きたと聞いていますので、なるべく手の空くようなライトをお子様にも用意してあげるといいんじゃないかなと思います。

森啓子さん(公益財団法人日本財団 「ママの笑顔を増やすプロジェクト(ママプロ)」担当) 森さん
ありがとうございます。
今日は、たくましく自分を変えて生きてきた、たくさんのお母さん方とお会いできて、本当に参考になりました。

私も、今、日本財団でいろいろなお母さんたちとの関わりがあるのですが、誰かに何かをしてほしいっていうお母さんには、もう一歩、自分の足で踏みだすことをしてほしいと思っているんですね。
でも、今日の皆さんのお話を聞いていたら、覚悟を迫られると、母は強い!ということを強く感じました(笑)。勉強になりました。

日本財団でも、全国各地でイベントを開催しています。
皆さんとまたどこかのイベント会場でお会いできることを楽しみにしています。

最後に一言ずつ、お願いできますか?

阿部麗華さん(Creative Living LAB 代表) 阿部さん
困っているときには、困っているんだと声をあげてください。
誰かが必ず助けてくれます。

そして、受けた恩は忘れず、今度は自分ができる形で人に返すこと。
それがいずれ、仕事につながることがあると思います。

渡辺琴美さん(株式会社アイナロハ 産後サポートままのわ代表) 渡辺さん
自分にとって、何が大事なのかを考えてみてください。

パートナーの方と一緒に常々考え話し合うことが、後々の自分や子どもの幸せにつながるんじゃないかなと思います。
「明日死んでしまったらどうなるのか」くらいの気持ちで、考えていただければと思います。

鈴木亜紀子さん(転勤族ママを笑顔に「てんママ」代表 特定非営利活動法人日本防災士会 防災士) 鈴木さん
私自身、震災後に東京に来た時に、「自分はこういうことができるんですが何か仕事はありませんか?」という風に言って、PowerWomen登録をしに行ったんですね。
ですから、皆さんなりに「自分のできること」は何かを考え、そこから少しずつ始めるのがいいと思います。
今日はありがとうございました。


森 雅美
森 雅美

派遣社員やフリーランスとして出版社や制作会社で様々な媒体の制作に携わった後、2012年の出産を機に在宅勤務主体の働き方にシフト。以降、ライター、ディレクターとして活動中。
今年の目標は「趣味 ジョギング」と言い切れるようになること。